生と死
2006年1月2日 去年、乳がんじゃないかと、不安に思い、マンモを受けた。
もしかしたらガン?と思ったとき、この幸せな生活が有限であることを知った。
色んな人の死が、身近にあって、『死』が特別なものではなく、いつあってもおかしくない、生きているものに平等に与えられたものだと思った。
私は『死』は怖くない。
早く死んじゃったら、子供が大変な思いをするだろうな・・とか、夫一人に苦労をかけるだろうなぁ・・・と思うけど。
本当は寿命なんて、どこかで決まってるんじゃないかって思う。
だから、『死』がいつきてもいいように、私は悔いのない生活を毎日送りたいと思ってる。
母が『ガンかもしれない』と、大きな病院にかかった。
母の様子から、心穏やかでないことはすぐわかった。
私自身が『ガンかも?』と思ってたときより、母の動揺の仕方は大きかった。
父も妹も動揺していたのに、一人落ちついていて、『私って冷たいのかも?』と思わされた。
でも、ガンだから早く死ぬのではないと思う。
どこで歩いてたって事故にあって死ぬ時は死ぬだろうし、ガンだからって、早期発見で手術して、長く生きる人だってある。
もちろん、私も母もガンではなかったから、安心していられるのかもしれない。。
でも、命って有限だから、『生』に意味があるんじゃないだろうか。
自分らしく生きたい。
そう思えるのは、自分の死を認識したときだと思う。
でも、誰にでもあること。
決して恐ろしいものではないと思う。
自分がガンでないとわかったときは、少しホッとした。
まだ、自分の家族と過ごせる時間があるんだな。。と思ったから。
でも、その後で、ちゃんと保険を見直したよ。。
今の状態で私がいつ死んでも、お金に関しては大丈夫なように。
ガンになったら、入りたい保険も入れないからね。。
現実的すぎ?!
でも、そういう人間だから、仕方ないね。
そうそう、田舎に泊まろうの番組で92歳のおばあちゃんが訪ねてきた芸能人との別れの際に、手を握って帰したくない。。。そんなそぶりをしてた時に、旦那が言ったんだ。
『この年になると会えない気がするのかな?』
私、反論。
『この年だから・・・じゃないよ。人間なんていつ死ぬかなんてわからないんだから。。』
でも、二度と会えないなんて、思いたくない。
夢と希望はいつまでも持っていたいよ。。
もしかしたらガン?と思ったとき、この幸せな生活が有限であることを知った。
色んな人の死が、身近にあって、『死』が特別なものではなく、いつあってもおかしくない、生きているものに平等に与えられたものだと思った。
私は『死』は怖くない。
早く死んじゃったら、子供が大変な思いをするだろうな・・とか、夫一人に苦労をかけるだろうなぁ・・・と思うけど。
本当は寿命なんて、どこかで決まってるんじゃないかって思う。
だから、『死』がいつきてもいいように、私は悔いのない生活を毎日送りたいと思ってる。
母が『ガンかもしれない』と、大きな病院にかかった。
母の様子から、心穏やかでないことはすぐわかった。
私自身が『ガンかも?』と思ってたときより、母の動揺の仕方は大きかった。
父も妹も動揺していたのに、一人落ちついていて、『私って冷たいのかも?』と思わされた。
でも、ガンだから早く死ぬのではないと思う。
どこで歩いてたって事故にあって死ぬ時は死ぬだろうし、ガンだからって、早期発見で手術して、長く生きる人だってある。
もちろん、私も母もガンではなかったから、安心していられるのかもしれない。。
でも、命って有限だから、『生』に意味があるんじゃないだろうか。
自分らしく生きたい。
そう思えるのは、自分の死を認識したときだと思う。
でも、誰にでもあること。
決して恐ろしいものではないと思う。
自分がガンでないとわかったときは、少しホッとした。
まだ、自分の家族と過ごせる時間があるんだな。。と思ったから。
でも、その後で、ちゃんと保険を見直したよ。。
今の状態で私がいつ死んでも、お金に関しては大丈夫なように。
ガンになったら、入りたい保険も入れないからね。。
現実的すぎ?!
でも、そういう人間だから、仕方ないね。
そうそう、田舎に泊まろうの番組で92歳のおばあちゃんが訪ねてきた芸能人との別れの際に、手を握って帰したくない。。。そんなそぶりをしてた時に、旦那が言ったんだ。
『この年になると会えない気がするのかな?』
私、反論。
『この年だから・・・じゃないよ。人間なんていつ死ぬかなんてわからないんだから。。』
でも、二度と会えないなんて、思いたくない。
夢と希望はいつまでも持っていたいよ。。
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