自分が幸せになる考え方を考えたいと思う。
腹が立つときにどんな風に自分は考えているか。
相手があるときに『あの人が○○するから、私は腹が立つ』
これは、とっても不幸な考え方だと思う。
腹が立つのは相手が原因だけど、相手は容易に変えられないから、相手を抹消しない限り腹が立つ原因は無くならない。
怒りは相手に向かう。
ところが、腹が立っているのは自分なわけで、『あの人が○○することに、私自身が勝手に腹を立てている』とすれば、自分が腹を立てないで済むように考えればいいわけよ。
そこが、人のせい自分のせい・・・という話になる。
人のせいと思っていれば頭に来ても、自分のせいと思っていれば、怒りも納まりやすい。
もうひとつ言うなら、その頭に来た相手を自分に置き換えてみる。
自分はそういうことを人にしていないか。。
それを考えたときに、たいていひとつやふたつ自分に思い当たることが出てくる。
世の中というのは、だいたいそんな風にできている。
相手というのは自分に何かを知らせてくれるためにいるもので、マイナスに見えるものでも自分の見方次第でプラスに変えられる。
時には、嫌いな相手がいてありがたいなぁと思う。
私が姑と一緒にいられるのも、私がそういう考え方をしているからだと思う。
もちろん、私がそういう考え方をするようになったのは、子供の頃からではない。
いい子ちゃんで育った私は、人に良く思われたい一心で、自分の気持ちを封じ込める子供だった。
親の顔色を伺いながら生活していた子供時代は何も楽しくなくて、いつも不満ばかり抱えていた。
『なんで私ばかり我慢しなきゃいけないの』
それから開放されたのは、親元を離れ、自立しなければならない時だった。
自分の好きなことを選択できる代わりに、自分でリスクを負う。
当たり前のことだけれど、大切なことだった。
それができるようになったときに、親への感謝の思いも湧き起こってきたし、自分の至らなさを反省することもできた。
人が自分の気に入らないことをする。
そんな場合、私は放っとけばいいと思う。
人間は体験したこと以外はわからないし、価値観は多様だから、自分に合わせる必要も、相手に合わせる必要もない。
わかる人はわかるし、わからない人はわからない。
今わからなくても、そのうちわかることもあるかもしれないし、一生わからないかもしれない。
それは相手のことだから、それはそれでいいじゃないか?と思う。
その人の人生はその人のものでしかない。
腹が立つときにどんな風に自分は考えているか。
相手があるときに『あの人が○○するから、私は腹が立つ』
これは、とっても不幸な考え方だと思う。
腹が立つのは相手が原因だけど、相手は容易に変えられないから、相手を抹消しない限り腹が立つ原因は無くならない。
怒りは相手に向かう。
ところが、腹が立っているのは自分なわけで、『あの人が○○することに、私自身が勝手に腹を立てている』とすれば、自分が腹を立てないで済むように考えればいいわけよ。
そこが、人のせい自分のせい・・・という話になる。
人のせいと思っていれば頭に来ても、自分のせいと思っていれば、怒りも納まりやすい。
もうひとつ言うなら、その頭に来た相手を自分に置き換えてみる。
自分はそういうことを人にしていないか。。
それを考えたときに、たいていひとつやふたつ自分に思い当たることが出てくる。
世の中というのは、だいたいそんな風にできている。
相手というのは自分に何かを知らせてくれるためにいるもので、マイナスに見えるものでも自分の見方次第でプラスに変えられる。
時には、嫌いな相手がいてありがたいなぁと思う。
私が姑と一緒にいられるのも、私がそういう考え方をしているからだと思う。
もちろん、私がそういう考え方をするようになったのは、子供の頃からではない。
いい子ちゃんで育った私は、人に良く思われたい一心で、自分の気持ちを封じ込める子供だった。
親の顔色を伺いながら生活していた子供時代は何も楽しくなくて、いつも不満ばかり抱えていた。
『なんで私ばかり我慢しなきゃいけないの』
それから開放されたのは、親元を離れ、自立しなければならない時だった。
自分の好きなことを選択できる代わりに、自分でリスクを負う。
当たり前のことだけれど、大切なことだった。
それができるようになったときに、親への感謝の思いも湧き起こってきたし、自分の至らなさを反省することもできた。
人が自分の気に入らないことをする。
そんな場合、私は放っとけばいいと思う。
人間は体験したこと以外はわからないし、価値観は多様だから、自分に合わせる必要も、相手に合わせる必要もない。
わかる人はわかるし、わからない人はわからない。
今わからなくても、そのうちわかることもあるかもしれないし、一生わからないかもしれない。
それは相手のことだから、それはそれでいいじゃないか?と思う。
その人の人生はその人のものでしかない。
コメント
短慮でした。ごめんなさい。
私は、遊遊さんの考え方が好きです。
人の振り見て、私の考え方、も
共感を感じるし、目指すところでもあります。
ただ、そのとおりの自分でいられるか、と言えば、
また話は違って参りますが・・・それも、人間ですからね。
日々気付きを得ながら、自覚を持って気をつけていくように、
目指していく、といったところでしょうか。
私は、これまでどおり、一読者として読ませていただきます。
誰か他の人がwasabiさんの名前を使って、wasabiさんを卑しめる目的で書いたのかと思いました。
でも、私のコメントがあったはずの日記がなくなっているのを見て、wasabiさん本人の言葉と確信しました。
私のコメントに気分を害したのならごめんなさい。
でも、何に対して気分を害されたのかは私本人にはわかりません。
wasabiさんのコメントを削除したのは、私の心の狭さであると同時に、あのコメントを見て嫌な思いをする人は他にもいるだろうという配慮です。
ごめんなさいとしか申し上げられませんが・・・。
日記が無くなってるということと
私が気分を害しているということ、
そのどちらもが、誤解です。
『一幕』でしょう?今もそのまま、ありますよ。
遊遊さんに対して気分を害したことなど、これまでありません。
お返事を書いてくださって、ありがとう。
また、再開される日をお待ちしています。